「会津玉を探し出せ」体験記
宝箱の写真は8月9日・10日の記事参照。
堀部安兵衛の手がかり
事前調査で町内に安兵衛通りと安兵衛像があるのは分かっていた。
地図から基準になるのはJR只見線の会津坂下(ばんげ)駅。駅前に建つ像や
のぼりは春日八郎一色で堀部安兵衛は見当たらない。町の道路も図のように格子
状ではない。
そんな中、安兵衛のお墓があるお寺(貴徳寺)へ。そこから裏側を窺うとそれらしい
通りが。ぐるっと回って通りに出て像を基準に地図と照合すると、隣の時計屋さんの
ショーウインドーの中に黒い箱が見えた。
瓜生岩子の手がかり
岩子さんは江戸末期から明治を生きた「日本のナイチンゲール」と言われる女性。
喜多方の油商の娘として生まれた(生地は熱塩加納地区だが、合併で現・喜多方市)
問題は図の左上の建物だが、実はこれ。
JRの喜多方駅なのです。したがって「i」は蔵造り風建物の喜多方駅前観光案内所。
その前に立つ柱に広場向きについていた。従って駅到着から5分で完了。
野口英世の手がかり
野口英世の生家といえば猪苗代町の野口記念館構内。館入口右手に英世像が
あり、その後の旗竿(国旗掲揚塔?)の下部に取り付けられていた。
イザベラ・バードの手がかり
右が西若松、左が会津高原(正確な現駅名は会津高原尾瀬口)という鉄道区間は
会津鉄道。この間で駅に囲炉裏があるのは「湯野上温泉」駅。駅待合室に設置された
囲炉裏の上の格子状の部分に取り付けられていた。室内なので読みにくかった。
ここまでで揃ったキーワードは
蒲生氏郷に関連
寺にあり
塔が目印
裏の木の下に隠す
この時点で会津に関する知識は松平家と鶴ヶ城と白虎隊くらい。「蒲生氏郷って誰じゃ?」という状態の中、いいヒントがありました。会津若松の駅の改札口を出たところ、観光案内所の脇に蒲生氏郷公に関する大きなパネルが出ていました。
会津玉
蒲生氏郷公とは、この若松の町を作った人。寺→墓と推測して中央通りから少し入ったところにある興徳寺にある氏郷公のお墓に行ってみました。お墓(そもそもは京都にあって、こちらは分骨したものらしいです)は五輪の塔の形、その後ろ側の木に付いてたのが会津玉です。
これにて任務完了。途中でレギュラー2件を挟み、所要時間は1日目7時間、2日目6時間ほどでした。
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コメント
10月28日訪問
喜多方の案内所は、駅の建物の中にあります。 写真では切れてますが、向かって左側です。
宝の地図と、案内所の位置関係がおかしいので、案内所で確認しました。
宝の地図の『 i 』は、<旧>の案内所だそうです。(新案内所の係員よりの返答)
まったく、赤い鳥の問題作成はどうなってるのでしょうか?
それとも、観光案内所が駅構内に移転することを赤い鳥に伝えなかったのか?
投稿: こんち | 2006年10月31日 (火) 18:03
こんち様 会津玉発見と伺いました。おめでとうございます。
観光案内所は確かに駅の写真左手にもあり、人の姿が見えました。
一方、地図の位置にも建物がありましたが、カウンターサービスをしていたかは確認していません。
私はJR系、観光協会系とで両方あるのかと思っていました。
きっと赤い鳥取材後に移転してしまったのでしょうね。(いまでもサイトによっては喜多方「駅前」案内所と載っていたりしますが)
ありがとうございました。
投稿: 管理人半太 | 2006年10月31日 (火) 18:49
>会津若松の駅の改札口を出たところ、観光案内所の脇に蒲生氏郷公に関する大きなパネルが出ていました。
とありますが、パネルに興徳寺に墓があると表示されてましたか?
また、地図もありましたでしょうか?
私は駅には行ってませんので、今後の参考までに教えてください。
投稿: こんち | 2006年10月31日 (火) 21:45
こんち様 お尋ねありがとうございます。
>パネルに興徳寺に墓があると表示されてましたか?
全体的には「蒲生氏郷公」の事跡に関するものでしたが、左下の方にあまり大きくなく、市内に墓所(辞世、句碑、五輪塔)があることが記載されていました。
>地図もありましたでしょうか?
パネル上にはありませんでしたが、隣の案内所に置いてある「駅から散歩」地図等に載っていました。
このパネルの件は私が行ったときの話で、10月下旬まで設置されていたままなのかは不明です。
類似のお尋ねが2件着信しておりましたので、整理させていただきました。
投稿: 管理人半太 | 2006年11月 1日 (水) 04:43